あきよししまの人生記録

私の人生ややこしい。いろいろと煩わしい心の中、断ち切るすべを模索中。

そんな彼女ももう60か....

アメリカ生活も2年、私は3人の日本人女性と知り合うことができ、仲良くさせてもらっていた。一緒に出かけたり、誰かの家で日本食を作って食べたり、たまに日本語で話せることは、それはそれはみんなにとってストレス解消になっていた。近くの学校で英語を習った時に知り合った彼女からの紹介とそのまた紹介とかで最終的には4人が仲良くしていた。

学校で知り合った彼女だが、最初は楽しかったものの、英語が不得意で、運転免許が取れずにいた彼女は、私を足替わりに使うようになった。出会った時には妊娠していてお腹の大きかった彼女は、学校の帰りに「家まで送って。」と言うようになり、それが「迎えに来て。」も加わり、ひどい時には家に送って帰ろうとすると、「~買って来て。お金後で渡すから。」とかやりたい放題になった。彼女と彼女のご主人は彼の実家でご両親と同居をしていた。彼女が私より2つくらい年上で、ご主人の方はさらに年上だったが、後々わかったのは、どうやら二人とも車を持っておらず、仕事もアルバイト程度のようだった。

アメリカの成人が車を所持しないのは、大都市の鉄道が利用できる人達くらいだ。広すぎてどこに行くにも車がないと無理なのだ。夫にその話をすると、「彼女はともかく、旦那の方は身体的に問題がないなら、犯罪歴が多くて仕事に就けないのかも。」と言った。そういえば、たまに見かけると酔っぱらっているような感じも見えた。どっちにしても、彼女とは付き合いたくなかったし、学校も夫の実家からアパートに引っ越してからは遠くなっていたので、通うのはやめることにした。

その後、彼女からの電話も1-2回あった気もするが、その後の消息はわからない。

不妊

言葉が思うように通じないのは思ったより大変で、もどかしいなんて甘い感じではなく、鬱になりそうだった。そんな中、夫の母は私をできるだけ彼女と一緒に行動させ、日々必要な情報を目から耳から習得させてくれた。どうしてもわからない単語などは、日本から持ってきた英語の辞書と参考書なんかでできるだけ調べ、こんな私でも毎日生の英語を聞いているうちにだんだん話せるようになってきた。学校に通う選択肢もあったが、仕事を始めてしまっていたし、できるだけ早く子供がほしいと思っていたので、学校には通わずにいた。

ある時、近くの高校で年齢を問わず、希望者に勉強を教えてくれると聞いて申し込んでみた。たしか週1だったと思うが、英語は黒人の女の先生がボランティアで教えてくれていた。私以外にも移民と思しき人が数名いた。先生はゆっくりと丁寧に、私以上に英語が話せない人たちにも我慢強く教えてくれた。そこで一人の日本人の女性が私に話しかけて来た。日本人に会うのは仕事で店に来るお客さんだけで、田舎なのでそれ以外に日本人に会う事など皆無。うれしくて仲良くなった。

結婚して2年が経った頃、私たち夫婦はそれぞれ病院に行き、不妊の検査をした。結果、私に異常はなく、夫の方に問題が見つかった。夫はひどく落ち込んでしまったが、希望がない訳ではないと言われていたので、あとは自然に任せる事に決めた。

 

運転免許取得

アメリカ生活が始まってすぐに、運転免許がないとどうにも生活できないこの国で、身分証明にもなる運転免許を割とあっさり取った。教習所に高いお金を出して何ヶ月も通うこともなくて、日本に比べたら全然簡単に取れると知った。MVA(州によってはDMVと呼ぶ。)と呼ばれる運転免許センターのような所で取るのだが、左ハンドルに道路右側走行と、日本と逆だし、実技は絶対落ちると思ったが、何か受かってしまった。ただ、筆記は受ける直前に、「何語で受けたい?」と聞かれたので、「日本語。」と言った。いざ試験が始まる時に、「始めてください。」と言われ、問題用紙をひっくり返すと、普通に英語の問題だった。多分、移民の多い中国人や韓国人のためにそれらの言語なら用意されていたのだろう。結果はギリギリで受かったが、テスト回答を見た係の人に、ある問題の間違いを鼻で笑われた。きっとものすごく簡単で、間違える方がおかしい問題だったのだろうが、選択する英単語が全くわからずに感で答えたのだからしょうがないでしょ!でもこんな事すら英語で言い返せない自分が情けなさ過ぎた。

こんな感じでいい加減に免許をもらってしまったが、道路も駐車場も広いアメリカはとても運転しやすい。日本に帰って来て免許を再取得した時は、実技で何度も落ちた。もう本当にくじけそうだった。歳を取ると、本当に運動能力がヤバい!!やっと再取得できた免許なのに、全く運転できていない。田舎ならまだしも、歩行者や自転車も多いし、道も狭くてとても怖くて無理だ(涙)日本ではもう運転はしないだろうなあ。

アメリカで初めての仕事

夫はすぐに仕事探しを始めたが、なかなか希望の職が見つからず、アルバイト程度の仕事をしていたが、数ヶ月後にワシントンDCの地下鉄電車の点検・修理の仕事が決まり、私たちは夫の両親の家からアパートに移った。二人とも犬が大好きなので、すぐにペットショップでコッカプーの子犬を飼った。私も仕事に就きたかったが、英語力が不十分だし、勇気も出ずにしばらくはくすぶっていた。当時は仕事を探す手段も新聞、広告、電話をかける、もしくは歩いて探すか誰かのコネを頼るしかなかった。ためらっている時間も長くなると相当自分にイライラが募ってしまい、気晴らしにワシントンDC市内をブラブラしていると、日本食レストランを見つけた。ここなら日本語が使えて私程度の英語でもいけるのでは?なんて思い、イチかバチかいきなり入っていき、人を募集していないか聞いてみると、意外にも話を聞いてくれ、フルタイムでの仕事が決まってしまった。

私はいつだってこんな風だ。考えすぎて何もしないか、考えすぎて失敗する。でも、考えずに覚悟を決めて動くと以外にいけたりする。わかっているのになかなか断ち切れない、しつこくこびりついた癖だ。

やっと会えた!

私はサンドイッチを食べている真っ最中に、ふと床に犬のフンが落ちているのを発見してしまった。拾ってあげるべきか、とりあえずおばあちゃんに伝えようと思っても、サンドイッチで口が塞がっていたのと、英語力のなさで一人アタフタと何も言えずにいるうちに、なんとキッチンから戻って来たおばあちゃんがスリッパでそれを踏んでしまった。が、本人は全く気づいていない。そしてそのままおばあちゃんはあちこち歩き回ってしまった。あとでキッチンペーパーを見つけたので、こっそり掃除した。あーあ、間抜けだ!

数日経って、夫の両親が『バケーション』から帰って来た。私たちが帰って来ている事は、まだ内緒になっていた。ドアを開けて家に入って来たタイミングで夫と二人出迎えると、二人とも本当にびっくりしていた。そして二人から猛歓迎を受けた。義母は当然英語だが、「私にもやっと娘ができてうれしい。私の事を本当の親だと思ってね。」と言ってくれた。母親の愛情に飢えて育った私は、すごくうれしかった。私たちはこの日からしばらくこの家にお世話になった。

8/11/2022 B'z Live-GymぴあアリーナMMでのこと。

ここまで、特に最初の方はやたら暗い私のブログだが、私の本質ではない。(と自分では思っている。)でも、私の『今まで』を時系列で文字にしてきたら、こんなブログになってしまっている。だけど、先週は横浜にB‘zのライブに行ってハジけてきたぞー!!何を隠そう私はB’zファン歴25年の大ファンだ。3年ぶりの今年のライブは、もう楽しみで楽しみで鼻血が出そうだった。

8月11日のぴあアリーナでは、もう一般に発表されたので書いてしまうと、稲葉さんの体調が悪くて終盤で一時中断。その前から喉が辛そうだったのでちょっと心配していたんだけど… このまま中止かな、と思って15分くらい(?)待っていると、ステージに戻って来てくれた。あの稲葉さんが、一旦はライブを続ける事が無理かもと判断したのだから、相当辛かったに違いない。なのに、「中途半端な事してしまってごめんなさい。ずっと待っててくれてありがとう。」とライブを再開してくれた。アンコールもこれまでのライブの流れと同じように2曲歌ってくれた。喉の調子に関してはパーフェクトではなかったかもしれないけど、そんな時ですら一瞬たりとも手を抜かない姿は、とても具合が悪い人のパフォーマンスではなかった。B’zは本当にプロ中のプロだ。スクリーンに写っていた松本さんも稲葉さんも、本当に心の底からファンの私たちに感謝してくれている…そして私たちもこんなすごい姿を目撃させてもらえて、元気と感動をいっぱいもらえた事に感謝。そんな感謝のキャッチボールをさせてもらって帰って来た。

12日の夜になって、稲葉さんのコロナ陽性の疑いが発表され、残り2日の横浜ライブの延期が決定した。5月からずっと頑張って来て、千秋楽含め、残り2日というところで、3年ぶりのライブツアーを完結できなかったのは、ご本人が一番悔しいと思う。でもまずは稲葉さんには療養に専念してほしい。できるだけゆっくりされることを願うばかり♡♡♡

あれだけご自身の体調管理を怠らず、常に周りへの配慮もされる彼が、そしてスタッフだって、ライブの主催側だって常に万全の態勢を取られていたはずなのに、コロナ感染は防げない… 改めて恐ろしいと思ってしまった。

初めての七面鳥

彼の実家に着いた時、もうすっかり夜になっていたのだが、アメリ東海岸の夏は、夜9時頃まで暗くならない。玄関で迎えてくれたおばあちゃんは、もうお風呂の後なのか、日本であまり見ないガウン姿だった。土足のまま上がり込み、お風呂の後はどうやって家の中を歩くのだろう、と彼女の足下を見ると、スリッパを履いていた。家の中でも靴のままとは聞いていたけど、私にできるかな、やったとしてもなんか気持ち悪いな、と思った。

夫は弟との久しぶりの再会を楽しんでいる様子で、二人で外に出て、誰かのオートバイをいじっていた。私はどうしていいかわからず、ソファに座って黒い方の犬と遊んでいると、「こんな物しかなくて…」とサンドイッチを作ってくれたおばあちゃんは、私がアジア人である事など全然気にしてない感じで、たどたどしい言葉の私にとても優しく接してくれた。まだ両親には会っていないが、ちょっと安心した。サンドイッチはパンがパサパサしてるな、と思ったけど、中の白っぽいハムのような物とチーズがあまりにもおいしくてびっくりした。なんとか「この白いお肉は何ですか?」と英語で聞くと、「Turkey」と言われたが、「とぅーきー」自体がわからずに聞き返したかったが勇気がなくて後から夫に聞いて、調べて、七面鳥の肉だと判明した。

もし、おばあちゃんに「Turkeyって何?」って聞いていたら、形態模写で七面鳥をマネしてくれたのかな笑笑