あきよししまの人生記録

私の人生ややこしい。いろいろと煩わしい心の中、断ち切るすべを模索中。

夫の両親のこと。

初めて義理の両親に会った時に2人が私にかけてくれた言葉はうわべだけのものではなく、2人ともいつでも実の娘のように接してくれた。特に義母は、後に他にも義理の娘が2人でき、彼女たちはアメリカ人なので、私とよりも意思疎通は簡単だったはずなのに、私との方が居心地がいいと言ってくれて、私たちはとても仲良しだった。実母と過ごした時間が短く、継母とは折り合いの悪かった私は、義母のことを本当の母のように思っていた。車で片道1時間弱かかる場所に住んでいたのだが、マメに会いに来てくれたり、たまには夫と出かけたりできるように、息子を泊まりで預かってくれたりもした。

義父は刑事だったが、都会の出身で、消防士の父親と軍関係の事務員をしていた母親に大事に育てられたらしく、いつも身なりをキチンとしている人だった。アメリカ人には珍しく、奥さんの家事の手伝いなどしない(できない)ひとで、彼が食料の買い出しなどに行く姿を一度も見たことはなかった。でもとても人当たりの良い性格で、パーティーなどではギターを弾いて歌を披露したりした。そして、お酒を飲み過ぎていつも義母に怒られていた。

義母は田舎育ちで男7人、女3人の10人兄弟の末っ子だった。田舎、というか、後に行ってみて本当にびっくりしてしまったのだが、17歳まで山のてっぺんに近い場所で暮らしていたらしく、冬は(というより春まで?)雪が深くて仕事がなくなるために、男性たちは出稼ぎに他の州に出る事が多かったらしい。アメリカに住んでいる(住んだことのある)日本人でもこういう場所に来たことある人は少ないだろうな、と行くたびに思った。本当に何もない山のてっぺんなのだ。隣の家なんて何マイルあるのだろう?遠くて見えない。義母の家はかなり貧しかったらしい。兄たちは病死したり、軍隊に入ってみんな若くに家を出てしまったとか。彼女も母親が亡くなった高校生の時に父親と合わずに、遠くに住む姉を頼って都会に出て働いていたらしい…なので、高校を卒業していなかった。それだけに、とても働き者で、じっとしていない人だった。

つづく…

2度目の奇跡

うちのミラクルちゃんはスクスクと成長してはいたが、風邪をひいた時にはひどくなってしまう子だった。熱を出せば、3-4日は下がらない。ほぼ毎回、中耳炎も一緒に発症した。耳が痛いので、泣き止まないし、見ていてかわいそう過ぎて私もよく一緒に泣いていた。ただの風邪はミラクルちゃんには決して『ただの』で済まなかった。風邪はひきやすい方だったかもしれないが、大病をすることもなく、けがもほとんどしたことないまま大きくなってくれた。

夫の二人の弟たちにも同じ年に偶然男の子が生まれて、いとこ3人が同い年だった。夫の両親は、もちろんどの子も大切にとてもかわいがってくれたが、そろそろ女の子をお願い、と私たち”嫁”に言ったことがあった。息子4人と、孫が立て続けに3人男の子、となれば、まあそう思うのかな、と思ったりしていた。でもそればっかりはねぇ…

うちの子は男の子にしては優しすぎて怖がりで、いとこたちや近所の子たちと遊ばせても女の子にさえ欲しいおもちゃをすぐにとられてしまったり、でも取り返したりはしない子で、グループに入ったら後ろの方から着いていくタイプだった。

そんな私たちに2度目の奇跡が起こった。息子が2歳になる少し前、私はまた妊娠した。今度はあまりにも計画外の事で、本当にびっくりした。3年前には子供をあきらめていたのに2人目を授かるなんて、心から神様に感謝した。

母が生きていたらどんなに喜んでくれたろうとちょっと思ったりした。

赤ちゃんのお尻は、なんであんなにスベスベ?

私の日本の妊婦さんのイメージは、出産すると実家に帰って1ヶ月くらいをそこで過ごし、その後迎えに来てくれた旦那様と赤ちゃんを連れて自分の家に帰って行く…今は違うのかしら?私は出産後、6ヶ月になった息子を連れて日本に帰った。親戚のみんなが「赤ちゃん見せて。」と実家に来てくれたり、私を家に呼んでくれたりした。私のいとこも出産後間もなくて、実家に帰って来ているから会いに来て、と言うことで、お邪魔したのだが、確かその時、1ヶ月以上実家に居ると言っていた。赤ちゃんを産んだばかりの時はみんな大変だし、親御さんにも赤ちゃんをみてもらえるから理にかなっているのだろうけど、1ヶ月って長くないかな?ママの回復の状態もあるだろうけど、順調なら早く帰ってあげないと、パパが可哀想な気がするなぁ…

アメリカでは、前に書いた保険の事情もあるのだが、出産後順調なら病院に1日か2日しか入院しない。私は幸運にも保険で出産費用が100%カバーされ、入院は2日だけだった。そして自分の親の手を借りることができなかったので家に帰った日から夫と育児を頑張った。夫は育休を何日かもらえていて、いろいろ手伝ってくれた。でもやっぱ初めての子育てはわからない事だらけで本当に大変だ。最初は夜中の授乳やおむつ替えも頻繁で寝不足になるし、なかなか泣き止んでくれなければもしかしたら病気かも、と思って心配になるし… 本当に子育ては大変!

そして最初はこれがハーフの顔なのか、と疑うほどおサルみたいでどうしよう、と思った息子だが、少し大きくなると私とは似つかない色白で、二重の大きな目もブロンドに近い薄い茶色の柔らかい髪も、可愛くて可愛くて、私たちの待ち望んだ赤ちゃん。大切に育てなきゃ、と思っていた。でも、スベスベでおむつを替えるたび思わずナデナデしてしまうお尻にはしっかり蒙古斑がある子だった。やっぱり日本の血の入ったハーフだ。

Miracle Baby 誕生。

それは日曜の明け方4時。ライトに照らされたまっすぐに伸びる広くて暗い道路はなんかかっこよくて、痛みに耐えながらも私は「うわー、ここアメリカっぽい!私、ホントにアメリカで子供を産むんだなぁ。」とか今更なことを考えたりしていた。

病院に着くと車いすで部屋に運ばれたが、私が思っていたような分娩室ではなかった。その普通の病室のような部屋で子宮口が開くまで待ち、いよいよとなった時に分娩室に移された。夫はずっとそばにいてくれて、一緒に何度か行ったマタニティークラスで培ったラマーズ法のコーチになってくれた、と言いたいところだが、看護師のお姉さんがしっかり付いてくれていたので、彼はお役御免となった。

そして、10時過ぎにMiracle Babyは誕生した。自然分娩だったので、大きな頭が出た時の感覚はしっかりあって、もう全身が出て来たのかと思った。というのも、頭だけ出た状態で、我が子は大きな声で泣いたのだ。私はすぐ「どっち?」と性別を聞いたが、「待って。」とか、「まだ力抜かないで。」と言われてちょっと戸惑った。が、無事に全身誕生(?)すると、「おめでとう、男の子だよ。」と言われ、ホッとした後で状況がわかって、気が早すぎる我が子に笑ってしまった。

当時でも胎児の性別を知ることはできたが、生まれてきてくれるならどちらでもよかったし、先に知るより生まれた時の楽しみにとっておこうと聞かずにいた。やっと会えたことがうれしくてうれしくて、未だに子供たちが生まれた時の喜びよりうれしかった思い出はない。

陣痛

夫は無事に『Police Academy』を卒業し、念願だった職に就くことができて本当にうれしそうだった。その頃の事はもうずいぶん昔の話なので、正直私の記憶も曖昧なのだが、朝、昼、夜のシフトを1週間毎に順番にこなしていたように記憶している。これは一緒に住む家族も結構生活のリズムを崩されてしまうものだった。私は超朝型人間で、夜はいつも早めにパワー切れになるので、夫が昼からのシフトで夜中に帰って来ても申し訳ないが起きてあげることができなかったが、本人は持ち前の体力でそのあと何年もこのきついシフトをこなしていた。精神的にも相当きつかったと思うが、よくやってくれてたなぁ。

私も出産予定日まであと2週間半と迫ったある日の夕方、仕事がお休みだった夫と夕食後に2人で家の近くを散歩した。私はお腹が大きくなってかなり運動不足だった。ただ、あんまりお腹が大きくなってから無理して歩くと、胎児が下がって早く生まれてしまうような気がしたので、当たり前だがゆっくりブラブラと歩いた。

夜中寝ていると、お腹の張りがひどくて目が覚めた。1人ベッドに起き上がってじっとしていると、今度はお腹が痛い。もしかしたら陣痛なのかと思い、隣の夫を起こした。夫は病院に電話をかけてくれて、まだ痛みも弱いし、痛みの間隔も定まっていないほどだったので、様子見ということで電話を切った。起きたついでに本当に陣痛だった時のために身支度を整えていると、痛みも少し強くなってきた。と同時に破水してしまった。もう一度病院に電話をかけると向かうように言われたので、2人で夫の古いFordのトラックでガタゴト病院に向かった。まだ外は薄暗かった。

当たり前のようにある日本の健康保険のすごさ。

夫は少し前に長年の目標だった警察官になることを決め、『Police Academy』に通っていて、卒業を目前にしていた。夫の家系には公務員が多かった。父親は刑事、祖父はもう他界してはいたが、消防士だったそうだ。夫は見た目や話し方がほんわかしたタイプだったが、以外に自分がこうと決めた事は実行する人だった。決めるまではすごく悩むが、悩む時間は短い。私はなかなか決定できず、いつまでもウジウジするタイプなので、こういう部分がとてもうらやましかった。

Miracle Babyの出産予定日は6月末だと言われた。妊娠初期のつわりがひどかったくらいで、あとは順調だった。友達とたまに会った時に、せっかく知り合えたのに友達になれなかったあの日本人の彼女の噂をちょっと聞いた。赤ちゃんは無事に生まれて女の子だったらしい。ただ、相変わらずご主人が定職に就かず、生活が大変そうだと。そう言えば私にも、保険がないから出産費用どうしよう、と言っているのを思い出した。

アメリカの健康保険制度はご存じの方も多いかもしれないが、日本のそれとは比較にならない程ひどい。社員や従業員にキチンと保険を提供してくれる会社で働ければいいが、そうでもなければ軍隊に入るでもしないと国から健康保険の恩恵を受ける事ができない。自国民が真面目に働いて税金を納めているのに、日本の国民保険のような制度がないので自分で保険を払えず、病気の時に病院に行けない人がたくさんいる。事故や重病で病院に送り込まれてしまったら、あとから来る請求は一生かかっても払えきれない額になる。私もそういう所を全然把握できていない事に気づいて、慌てて夫に確認したが、どうやら大丈夫そうでひとまず安心した。

Miracle Baby

不妊に悩む私たち夫婦だったが、夏の終わりに私の友達家族やそのまた友達と、大人数でバーベキューをした。そこである人から、子供ほしかったけどできなくて、何年も経ってやっとあきらめようと吹っ切ったら間もなく妊娠したという話を聞いた。私たち夫婦もその頃にはあきらめていて、「へぇ。」と何気なく聞いていた。

それから間もなく秋になり、なんと私は妊娠した。生理の周期がほぼ規則正しかった私は、これは絶対に居る、と確信した。夫には内緒で、検査薬を買いに行き、やってみた。やっぱり居た。うれしくてうれしくてすぐ夫に知らせたかったが、サプライズにしようと決めて、仕事からの帰りを待った。検査薬をいきなり見せた。夫もものすごく喜んだ。私たちには奇跡のような事だったので、しばらくお腹の赤ちゃんを『Miracle Baby』と呼んでいた。

それまで知らない人に会うと「お子さんいるの?」と当然のように聞かれたりした。「まだです。」とか、「なかなかできないんです。」とか笑顔でかわしていたが、実はそのたび結構傷ついた。子供を望んでいてもいなくても、こう聞かれたら傷ついたり、悲しくなったりしてしまう人は多いと思う。聞く方は悪気ないとは思うけどね。私は気をつけたいかなと思う。