あきよししまの人生記録

私の人生ややこしい。いろいろと煩わしい心の中、断ち切るすべを模索中。

疎外感

家では悶々としながらも、学校はそれなりに楽しく、たまに彼氏と会う約束をすると、その日に向けてルンルンしていた。 高校2年生の時には、勉強なんて全く興味のなかった私は、うちの経済状況も考えて就職しようと思っていた。当時は各会社から学校にスカウ…

ダンス

高校ではダンス部に所属した。ダンス、と言っても創作ダンスなので、一つテーマを決めたら、テーマに添うそこに宿る魂だのこんな気持ち、あんな気持ち、それらを動きにしていくと、なんとも怪しげな女子のうごめきを体育館で他の部活に披露することになる。…

40年以上経っても.....

学校でちょっぴりうらやましかったヤンチャな女の子たちのように、自分の気持ちを訴える事ができる子だったら、いろんな事が変わって今の人生とは全く違ったのだろうか?私よりもっと幼かった弟も本当に我慢ばっかりしていた。新しい母は変わった人だから、…

妹、誕生。

高校生になると妹が生まれた。年が離れているので私がお母さんと間違われたりした。妹は可愛かったけど、母親が難しすぎてなついてくる幼い妹にすら接し方に気を遣い、家では毎日疲れた。この頃から私はこの母親と仲良くしようとする努力は一切無駄だと思い…

初恋。。。実る

悲しい事がたくさんあっても人はなんとか生きていくものだ。心はボロボロでも… 中学時代は学校ではできるだけ複雑な家庭を悟られないように努めて明るい私だった。元来おちゃらけな性格だったからそこは救われた。 1年生の時に同じクラスの男の子を好きにな…

またひとり。

父は簡単な結婚式を親戚だけの集まりで済ませ正式に再婚した。最初はみんなお互いに気まずくならないよう、当たり障りのない行動、言動に出ていた。でもすぐに私たちは、この新しい母が本当に家事のできないひとだったと知る。買ってきたお惣菜だらけの食卓…

???どういうこと???

私は泣きながらも目が点になっていた。父の再婚相手にどうか、と言って伯母の口から出てきた名前が、伯母の隣の家のひとのものだったからだ。 その時の私が知る限り、そのひとは変わっていてうちの辺りでもうわさされていた。学校帰りに時々見かけたりしたが…

いろいろ狂いだしたのは、母の死、じゃなくて、この時

悪い予感しかしなかった。持ってきたお供え物を仏壇の前に置いてお線香を上げ、手を合わせてからくるっと振り返り、弟に「かなちゃーん、ちょっと向こうに行っててくれるかな?」と言った。かなめは言われた通りに茶の間を出て行った。私はいよいよ来たか、…

あの頃、ホントがんばったなぁ。

母のいなくなった生活はなかなか大変ではあったが、祖母たちに来てもらう頻度も少しずつ減らしてもらい、祖母たちが来ない日は自分勝手に家事もできるので、正直ちょっと楽しみでもあった。祖母たちもそれぞれ持病を抱えて病院に通っていたり、と大変そうだ…

つかの間の平穏な日々

病気が発覚してから4年程で母は死んだ。私が13歳、弟はまだ8歳だった。しばらくはなんだかんだと忙しかったはずで、気も紛れていたかもしれないが、家族がいなくなる重大な出来事に直面し絶望していたはずなのに、我慢ばかりするこの家族は、みんなそれぞれ…

どうして誰も吐き出さなかったのだろう

ある日の休日、父と弟とお昼にラーメンを食べに行った。店は混んでいて席が空くのを少し待ったが、次が私たちの番、という時にパッと横入りされ、中年の男女に座られそうになった。その時父がその人達に寄って行って、「うちの番ですよ。」みたいに言うと、…

母の病気

私が小学3年生のある日、母方の祖母が家に遊びに来た。そこで母が、「胸になんかできてる。」と言い、祖母がそれを触って、「ほんとだ。医者で診てもらった方がいいよ。」なんて言う会話をしていたのを覚えているが、後々それが乳がんだとわかった。母は入院…

『憎まれっ子世に憚る』とはこの事か。

新しく引っ越した家の近くには父の実兄が住んでいて、その奥さんだけが父方で唯一、私が苦手とする人物だった。伯父と二人で家で商売をしていて、高い声で早口でしゃべり、いつも忙しそうにしている人だった。この伯母が将来、私と弟の未来を狂わすとはこの…

引っ越し

幼稚園ライフをエンジョイしていた私だったが、ある時から母が会う人会う人に「お世話になりました。」と言うようになり、私もみんなから「元気でね、とか、また会おうね。」とかやたら言われることに気がつきだした。母の実家の近くに一軒家を建てた両親は…

父の実家

父は11人兄弟の6番目、四男で、物心ついた頃は敗戦直後で貧しく、兄弟も多かったことから中卒で東京に働きに出たそうだ。口数の少ない穏やかな人だが、決して陰気な感じはなく、実は人なつっこい。いつも人を気にかけて自分が出来る最大の事をしてくれるタ…

幼稚園児のしま

私の通った幼稚園の園長先生はお寺の住職でその奥様もその幼稚園で先生をされていた。園長先生は坊主頭だったので、園児たちに「ハゲアタマ~」とバカにされていたが、いつもニコニコ笑っておられた。5,6年前に何の気なしに幼稚園のホームページを見てみた…

「家族なのに」を問い続けて57年。

母は4人兄弟の一番上で、妹、弟、妹の順だった。 *この場合、『兄弟』は間違いですか?『妹弟』の選択肢はないと思うし… 母の唯一の男兄弟だった私の叔父さんのシゲちゃんは障害者で、施設に入っていた。私も父母や祖父母と何度か面会に行った。薄暗い施設の…

始めて見た母の泣き顔

いまだに詳しく聞いたことはないが、両親は見合い結婚で、どうやら父は母方の祖父と同じ会社に勤めていて、祖父が父の上司だったらしい。そんな縁で母とのお見合いという運びになったみたいだ。小さい頃の私は活発でおてんば、人見知りなどとは無縁だったの…

もし記憶が無くなってもこれを読んで自分の何かを感じられるように始めるブログ。

私の人生、なんかハチャメチャ。 子供の頃の母の死、父の再婚、国際結婚、依存症、離婚、出戻り(笑) 「しまちゃんっていつも面白い。」だの、「打たれ強いね。」だの言われると、なんか悲しくなってしまう。 初っ端だっていうのに、暗いよね。いやいや、そん…