あきよししまの人生記録

私の人生ややこしい。いろいろと煩わしい心の中、断ち切るすべを模索中。

幼稚園児のしま

私の通った幼稚園の園長先生はお寺の住職でその奥様もその幼稚園で先生をされていた。園長先生は坊主頭だったので、園児たちに「ハゲアタマ~」とバカにされていたが、いつもニコニコ笑っておられた。56年前に何の気なしに幼稚園のホームページを見てみたら、まだご存命だったのでびっくりした。もう50年以上も前に園長をしておられ、もし当時50歳だったら、もう100歳は越えてるではないか!今もお元気でおられるといいなぁ。毎年4月にはお花祭りもあって、お寺ならではのイベントだったのだろうなあ。なつかしい。本当に毎日幼稚園に行くのが大好きで、お帰りの時間のお歌はふてくされていた。朝、イヤイヤ登園し、お母さんや先生になだめられても帰りたいと泣きじゃくる子の気持ちが私にはわからなかった。「ここに居たらみんなと遊べて楽しいし、お母さんに怒られなくて済むし。」なんて思っていたのかも。

 

雨の日に迎えに来てくれる母と傘をさして帰るお茶畑の近くの道がとても好きだった。時々母は駄菓子屋さんに寄り道をして、量り売りだったポテトチップスやカップに入ったはちみつのアイスを買ってくれた。時代ですよねぇ、量り売りのお菓子。誰かあのはちみつのアイス、ご存じないでしょうか?昭和40年代に関東圏に出回っていたものなんですけど。

 

父の実家も母の実家も同じ県にあって、父方の実家にはそれこそお正月とお盆くらいしか行かなかったけれど、母方の祖母はお出かけ大好きな人だったらしく、よく遊びに来てくれた。母も私と弟を連れて電車でたまに実家に顔を出していた。母方の祖父は時々部下を家に連れてくることがあったらしく、その場面に出くわした時の事はよく覚えている。背広姿のおじさんたちが、祖母とその当時まだ家にいた私の叔母が忙しくお酒や食事の支度をしていた。ときどき、酔ったおじさんに「お嬢ちゃん、おじちゃんにお酌して。」などと言われ、当時からおちゃらけでちょっと悪知恵の働いた5-6歳の私は、調子に乗ってお酌したり、ちょいとおつまみをつまんで母と祖母からこっぴどく怒られた。祖母もまた、大変躾に厳しかったので、言い訳をしてげんこつを落とされたりした。その分、祖父は私にとても甘くて、いつも助けられたけど。