あきよししまの人生記録

私の人生ややこしい。いろいろと煩わしい心の中、断ち切るすべを模索中。

引っ越し

幼稚園ライフをエンジョイしていた私だったが、ある時から母が会う人会う人に「お世話になりました。」と言うようになり、私もみんなから「元気でね、とか、また会おうね。」とかやたら言われることに気がつきだした。母の実家の近くに一軒家を建てた両親は、あと数か月で私が小学校に上がるという時に、ドタバタとお引越しをした。私は仲良しだった子たちに会えない悲しさよりもこれから始まる小学校生活に胸を躍らせていた。ランドセルや新しい勉強机、電動の鉛筆削りなんかを買ってもらって、初めて見る筆箱なるものや全て新品で揃った文房具にすっかり浮かれていた。

小学校でもすぐに仲良しを見つけ、相変わらずおちゃらけだった私は、小学校ライフもそこそこ楽しいものだった。ただ、体育だけは苦手だったのと、親も毎日心配するほど食べない子だったので、給食の時間は地獄だった。幼稚園の頃に公園で父と遊んでいた時に、近くで野球をやっていた子たちのボールが私の顔面を直撃したことがあった。その時は幸い大事には至らず、すぐに治ったと思うのだが、私はすっかり硬いボール恐怖症になっていた。それとおてんばだった割に、変に先を心配し過ぎるところもあり、ドッジボールならまたボールが体に当たって当たり所が悪くて死ぬかも、マットの上の前転なら首を折って死ぬかも、水泳なら奥に行ったら深くて足がつかず溺れて死ぬかも、とか。給食は食べない子にとっては本当につらいもので、クラスに私ともう1人の女の子しか食べられない子はおらず、毎日バカにされるは、檄を飛ばされるは、あきれられるは、と本当に悲惨だった。何がダメだったかと言うと、当時のアルミのような食器のにおいや、食器の汚れが気になって気持ち悪かったのだ。好き嫌いも多かった方かもしれないけど、野菜もお肉もお魚も好きな物は食べるのだし、実際、高学年になる頃には、別人のように何でもモリモリ食べる子に変身した。人は好き嫌いしてもすぐにどうにかなったりしないのではないのでしょうか?精神的なものもあるだろうし、子供に食の無理強いはしないであげてほしい。