あきよししまの人生記録

私の人生ややこしい。いろいろと煩わしい心の中、断ち切るすべを模索中。

どうした?あたし!?

19歳になった10月のある土曜日の夜、会社で仲のよかった子と当時大流行りだったDiscoに出かけた。適当に踊っていたら、ある外国人の男に英語で声をかけられた。小学生の頃から洋楽大好きで、毎日聞きまくっていた私は、ある程度の英語は独学で話せるようになっていた。彼の英語もなんとなくわかって、「やばい!これはナンパだ!!」と思ったが、田舎モンの私は外国人がめずらしくて話すだけならいいかな、と彼とカタコトで話し出した。彼は踊りもうまくナンパも慣れていそうな感じがした。が、少し明るい所で見たら、顔が私好みではなかった。彼も友達と来ていて、連れの彼はちっとも踊らず、テーブルで一人チビチビ飲んでいた。そっちの彼は体が大きくていかついスポーツ選手のようだった。ペラペラしゃべったりしないけど、ニコニコと穏やかで、明るい所でよく見たら、目がとても優しそうで、私の英語もちゃんと聞いてくれようとした。少し話していたら、私と彼はすっかり気が合ってしまった。

ちょっと心残りだったけど、元々朝型の私と友達は早めに引き上げようとしたとき、その大きい方の彼に電話番号を聞かれて、渡した。男の人に簡単に電話番号を渡すなんて、そういう所に慎重な自分にはめずらしいな、と思った。しかも、さっき会ったばかりの外国人に!

就職

高校を卒業した私は、なんとなく決めた会社にただお金を稼ぐためだけに就職した。何か夢や目標を持って大学や専門学校に行く子や、ちょっとでも『好きだから』とどこかの会社に就職する子たちがうらやましかった。私はいつも自分が何を好きなのかわからなかった。

仕事は当時急成長のコンピューター関係。現在でも誰でも知っている大手だった。周りからは「これからの会社だよね。」とか言われたが、実際はどんな会社かよくわからずに適当に決めたし、漠然と20代のうちに結婚したいと思っていたから、それまでの腰掛けの仕事と甘く見ていた。実際、言われた通りの事しかやらなかったし、それでも18歳の女の子には充分な額のお給料をもらえるし、会社の人と食事に行っても、相手が男性ならば女子はおごってもらえる時代だった。私はおしゃれにも興味がなかったので、(今もだけど)服や美容にもお金を使わなかった。ただ、旅行は大好きで、それにはお金かかったかな?

父には、毎月現金書留でお金を送っていた。父はそれをずっと貯めておいてくれて、私が結婚するときにそっくり返してくれたが。

疎外感

家では悶々としながらも、学校はそれなりに楽しく、たまに彼氏と会う約束をすると、その日に向けてルンルンしていた。

高校2年生の時には、勉強なんて全く興味のなかった私は、うちの経済状況も考えて就職しようと思っていた。当時は各会社から学校にスカウトマンが来て、説明会などもあり、就職希望の子たちは仕事を選び放題だった。彼氏は大学進学を決めていたので、離ればなれにならないようにお互いの進路を近い場所にしようと決めた。私は東京某所の会社の面接を受ける事にして、彼も東京の大学受験に向けて勉強に本腰を入れだした。そして、3年生になると彼の邪魔をしないようになるべく会わないようにしていた。しばらく会えずにいるとなんとなく気持ちが冷めかけた気がした。そして彼も遠くの大学を受けると心変わりをして、私たちは一旦、卒業前にお別れをした。

私は学校でも仲のいい子と一緒にトイレに行くような子ではなく、教室の移動も大体一人だった。お弁当だけは一人で食べると孤独感が満載になり、優しい子たちが仲間に入れてくれたけど、やっぱり仲良しグループの中にいると疎外感を感じていた。早く就職して自由になりたいとばかり考えた。

ダンス

高校ではダンス部に所属した。ダンス、と言っても創作ダンスなので、一つテーマを決めたら、テーマに添うそこに宿る魂だのこんな気持ち、あんな気持ち、それらを動きにしていくと、なんとも怪しげな女子のうごめきを体育館で他の部活に披露することになる。だんだん形になって音楽に合わせられるようになるまでとても時間がかかり、複数名で何かをやっていく事に共通するのかもしれないが、意見の対立あり、顧問の先生には叱られまくり、とても大変なのだが、一つの作品が完成すると、いつもみんなで泣いて喜んだ。一生懸命だったなあ、あの頃の私。大人になったらあんな風に頑張れる物がなくなってしまった。人って、打ち込めるものがあるとないとではすごく違ってしまうのかも。また何か始めたいなあ。

40年以上経っても.....

学校でちょっぴりうらやましかったヤンチャな女の子たちのように、自分の気持ちを訴える事ができる子だったら、いろんな事が変わって今の人生とは全く違ったのだろうか?私よりもっと幼かった弟も本当に我慢ばっかりしていた。新しい母は変わった人だから、もしかしたら精神の病気だから、と思って、そして、ただ父が大好きだから何があっても何も言わず、ひたすら自分たちをだまし、どうしていいかわからずに黙って日々を過ごした。こちらからいくら歩み寄ろうとしても距離を取ってくるし、かと思うと、他の人の前では急に優しくなったり、本当にずるい。彼女は母が参加していた自治会の集まりにも出たりすることはなく、みんなでやる地域のお掃除とかも参加するのは父だった。

というか、現在83歳になる父と今の母は共に健在で、未だに全部父任せだ。どこからどう見ても誰が見ても二人の間に愛情なんてなさそうとわかる関係だが、離婚することもなく、一緒にいる。(ずいぶん時間を飛ばしましたが…)だからもういいのだ。今の母は未だに近所の人に打ち解ける事ができず、我が家はいつのまにか近所からなんとなく避けられる存在になってしまった。

自分の親族でさえ親しそうな人がいない今の母は、たった一人の実の子だけが頼りみたいだ。高齢の父と異母。普通に仲のよいご家庭でも何かしら問題ってあるとは思うけど、私の実家ではこれからますます問題が出てきそうだ。今は考えないようにしよう。

妹、誕生。

高校生になると妹が生まれた。年が離れているので私がお母さんと間違われたりした。妹は可愛かったけど、母親が難しすぎてなついてくる幼い妹にすら接し方に気を遣い、家では毎日疲れた。この頃から私はこの母親と仲良くしようとする努力は一切無駄だと思い、家族として絶対に成立しないと諦めていた。

一方で、高校は別々になったが、14歳で始まった私の恋は順調で、手さえつないだこともなかったけど、彼のおかげで毎日がバラ色、ウキウキ浮かれていた。

学校のクラスには髪を茶色にし、スカートを床まで引きずり、鞄をペッタンコにして更にバンドエイドを貼って『私はキズもの』をわざわざアピールする本当はいい子なのに、悪ぶる子たちもいた。こんな格好して学校に来ても先生には怒られ、授業には出ず、屋上でタバコを吸ってるくらいなら、学校になんて来なきゃいいのに。と白い目で見ていた私だが、どこかで「あんな風に私も自分をさらけ出せたらいいのに。」と彼女たちがうらやましかった。

初恋。。。実る

悲しい事がたくさんあっても人はなんとか生きていくものだ。心はボロボロでも…

中学時代は学校ではできるだけ複雑な家庭を悟られないように努めて明るい私だった。元来おちゃらけな性格だったからそこは救われた。

1年生の時に同じクラスの男の子を好きになり、残念ながらその子は他の子を好きだった。ある日、女の子4人で体育館の裏で誰が好きかの発表会をした。みんなでキャッキャッ騒いでいると、偶然私の好きな彼が通りかかり、顔から火が出るほど恥ずかしい思いをした。聞かれていない事を願った。

2年生では好きだった子とクラスが分かれてしまい、姿を見る事が少なくなってしまったので、彼がやっていたバスケットボールの部活をちょっとだけこっそり見てから帰ったりした。ある日の朝、学校に行く途中の田舎道に彼がいた。びっくりして恐る恐る「おはよう。」と言うと、「あのさ。」と言ってから数分、思い切ったように「付き合ってほしいんだけど。」と言われた。私はガタガタ震えが止まらなくなった。が、じっとしているとそれを知られてしまうので、わざと少し離れて気のなさそうに「いいよ。」と言った。

今までの人生でこの事だけが、唯一、“胸キュン”な私の美しい少女漫画のシーンのような思い出だ。あの時…しっかり聞かれてたんだな。