あきよししまの人生記録

私の人生ややこしい。いろいろと煩わしい心の中、断ち切るすべを模索中。

天国の犬たち

昨日、犬の話になったついでに追記すると、子供の頃、実家で最初に飼った犬は毛足が長めのスピッツと何かの雑種で、クリーム色のとてもハンサムな子だった。子犬の時に家に来て、弟と『チロ』と名付けた。結局、母がお世話役になってしまったので、とても母になついていた。母が病気で入院中、悲しくても人の前で泣けなかった私は、誰にも見られないようにチロのそばで泣くことがよくあって、彼も本当に悲しそうにしていたのを覚えている。犬には人間の気持ちがよく伝わる。そして母がいなくなってしまったので、チロも元気がなくなった。そして私が高校のダンス部の合宿に行っている間に庭の隅の方で本当にひっそり死んでしまった。チロの写真をかなり長くお財布に入れて持っていたのに、最近になって写真を見ていない事に気がついた。お財布だって何個も何個も買い換えてもずっと持ってたのに。ごめんね、チロちゃん。写真絶対見つけるからね。

今まで、実家で飼った子たちを含めると、合計6匹の犬を飼ってきたけど、みんなうちの子になってくれて幸せだったかな、と思うことがある。満点の飼い主ではなかったよな。私が死んだ後あの子たちに会えるなら、してあげられなかった事を真っ先に謝りたい。犬に限らないけど、居なくなってから後悔することが多いのは何でだろう。頭ではわかってるつもりでも、一緒に居られる事に感謝、できるだけ自分の行動、言動に気をつけて、反省もしなきゃ、ね。でも、本当にどの子を思い出しても可愛くて顔がゆるんでしまう。ありがとう。みんな居なくなって何年、何十年と経っているのに、今でも私の大切な宝物。

Hello, Maryland! 

不安なまま彼の実家に到着すると、白と黒の小型の犬が2匹で猛烈に尻尾を振って出迎えてくれた。私の実家で飼っていた犬は父が作った小屋で外で暮らしていた。差を感じた。そしてその後ろにニコニコしたガウン姿のおばあちゃん。夫とハグした後、大きく腕を広げて私をギュッとハグしてくれた。夫の祖母は彼女の息子夫婦と同居だった。

夫は予定より早く帰って両親をびっくりさせたいからと、サンフランシスコ滞在を数日切り上げたいと言ったので、私は了承したのだが、彼の実家に着いてみると、両親はバケーションでキャンピングカーで海に行っていて今日はいない、とおばあちゃんに言われた。残念。早く会いたかったのに… ちょっと待って。バ、バケーション!?キャンピングカー!?そんな物持ってるのか!すげぇー!!と、ただただ驚いてしまった。

後でよくよく考えてみたら、夫は田舎育ちで、人混みやビルだらけの街が嫌いな人だった。そう言えば二人でディズニーランドに行った時に私とはぐれてしまい、携帯電話などなかった当時は、アナウンスで呼び出して探してもらうか、ひたすら自分で歩き回って探すしかなく、やっと会えた時には「日本人はみんな髪の色が黒で見つけにくいよ。みんなすごくぶつかってくるし。」とか、ちょっと的外れな文句を言われたが、とにかく人混みでは機嫌が悪くなりやすい人だった。あの時もきっと、大都会サンフランシスコに1週間居て疲れてしまい、早く帰りたくなったんだろうな。私はサンフランシスコをもっと堪能したかったけど。

サンフランシスコからメリーランド州へ移動

彼はワシントンDCで生まれ、幼少期から高校卒業までをメリーランド州の田舎町で過ごした。小学校からずっとアメフトをやっていて、身長もあれば横幅もある。私など、片手でヒョイッと持ち上げてしまえるくらい大きい人だった。大きくても鍛えていたから締まってはいた。手足は大きいが、顔が小さい。私の一番のお気に入りは、ブロンドに近い茶色(何色って言うの?)のまつげが長さの半分から上にカールしていてとっても可愛かった。一生ビューラーなしでOKってことがうらやましかった。男ばかり4人兄弟の長男で、聞くと、弟たちもみんな似たような体型だと言った。電話で何度か話したことのあるご両親はその声の感じからとても優しそうに思えた。

空港に到着すると、すぐ下の弟が迎えに来ると聞かされていたので、勝手にイケメンを想像してワクワクしてしまった。が、目の前に現れたその男は、全然愛想のない、夫とはあまり似ていない奴だった。私の英語力の問題で、二人の話に入っていけず、しかもよーく聞いているつもりでも何を言っているのかさっぱりわからない。車の中で一人、急に不安になってしまった。

 

ハネムーン

私たちはサンフランシスコに着いた。彼はよく「自分はこんなに日本が大好きなのに、アメリカ人として生まれたことはおかしい。自分の前世はSAMURAIだったに決まってる。」とか言っていた。それほど日本びいきだった。そして日本人に対して、とても腰の低い人だった。正直、その頃の私の英語の能力では、彼が話す事の半分くらいしか話が理解できておらず、なぜ最初にサンフランシスコに行ったのかよくわかっていなかったが、そこで何らかの再就職の手続きをした事に間違いないらしかった。田舎モンの私には見る物全てが新鮮過ぎて、本当に夢を見ているようだった。中学校の卒業アルバムに将来の夢、として、「アメリカに行ってみたい。」と他の人は「何々になりたい。」とか、「こんな人間になる。」とまともな事を書いているのに、私はそこでも適当でゆるい事を書いていた。本当に目指す物がない子だった。でも、とりあえずそれは実現したわけだ。←甘い! 

アメリカの食事は油っこ過ぎるのと、甘すぎる、そして何でもサイズが馬鹿デカいことも最初はびっくり&面白かったが、だんだん疲れて胃の調子が悪くなってしまい、その後しばらくは食事が楽しくなくてちょっと痩せてしまった。1週間滞在して、私たちは彼の故郷の町にまた飛行機で移動した。思えばこれが私たちの無計画のハネムーンとなった。

21歳、結婚。

しばらくすると、彼がアメリカに帰国する事になった。私たちは話し合い、日本で結婚して一緒にアメリカに行く事に決め、慌ただしく私のアメリカ永住権の手続きを始めた。数ヶ月でビザがおりて、今度は結婚式の準備に取りかかった。ごく簡単な式にしたかったので小さな会場を押さえたが、父の兄弟とその家族だけで膨大な人数になり、会場はパンパンだった。亡くなった母サイドからは、祖母は体調が悪くて参加できなかったが、祖父と、叔母の家族が来てくれた。祖父は私が小学生の頃に脳溢血を患って、右半身が不自由になったが、懸命のリハビリで歩けるようになり、私の結婚式のために遠出して来てくれた。祖父がスピーチしてくれて、本当にうれしかったし、ずっと忘れない思い出になっている。同時にアメリカに行ってしまったら、もう会えないかも、とぼんやり考えた。

その頃の弟は、そろそろ進路を決める時期で、まだ家は出られないから、就職してお金を貯めて、とりあえず自立できるように準備したいと考えていたようだ。結局、異母との距離は縮まらないまま、父の事も、弟の事も心配だったが、いろんな感情はあっても何もできないまま、私は全くの未知の世界であるアメリカで暮らすため、7月の暑い、よく晴れた日に、夫と二人渡米した。

父、彼と会う。

父が大好きで、仲良しで、反抗なんて全くしなかった私は、父に叱られた記憶がなかった。外国人と結婚したい、と言った時までは。父は私に怒った事がなかったから、どう言ったらいいか戸惑った風に、でも怖い顔で「外人じゃしょうがないだろう。」と言った。私も何をどう言っていいかわからずにしばらく黙っていると、父の方が部屋を出て行った。私は自分の結婚をあきらめるつもりはなかった。「許さない。」とは言われてないからそのうちなんとかなるさ、くらいに思っていた。

ある日、勇気を振り絞って父に「彼を家に連れて来るから会ってね。」と半ば強引に申し出た。返事はもらえなかった気がする。いよいよその日に彼を連れて来ると、見たこともない男の人が父と一緒に私たちを待っていた。父は「俺も話がわからないと困るから今日はわざわざ来てもらったんだ。」とその人を紹介した。もうその人の顔も名前もほぼ記憶から消えてしまったが、私と彼の話を日本語で父に伝えてくれて、最後には「感じもいいし、真面目そうな方ですよ。お付き合い許してあげてください。」と、父に言ってくれ、私たちの味方をしてくれた。父としては納得はしていなかったはずだが、ちょっと気持ちが落ち着いたのか、その後は私の彼が父を仕事場に連れて行ったり、何度か外で3人で会ったりして少しずつ距離を縮めていった。

彼はアメリカ人で偶然私と同い年。私の両親も同い年で友達同士みたいだったし、それまで付き合っていた彼も同級生だったので、私の中では結婚相手は友達みたいでいられる人が理想だった。聞いて見ると彼の両親も同い年だという。なんか偶然が重なってちょっとうれしくなった。

すごいなと思うこと。

その当時、私は会社の女子寮に入っていて、電話がかかってきたら普段は寮母さん、彼女が忙しければ誰でも近くに居る人が取るルールだった。当時は携帯電話なんてなかったから、寮のたった一台の電話はいつも奪い合いで、必要なら外の公衆電話を使うしかなかった。

ある日、思いがけず外国人の彼から電話がかかってきた。電話を取った子はいきなりたどたどしい日本語で私の名前を電話口で言われ戸惑っただろうな。「なんか男の人だけど、日本人じゃないよ。」と受話器を渡された。私は電話にでた。電話に出る時に最初に「Hello。」と言うことも知らなかったし、私、なんて言ったんだろう?話の内容はほぼ覚えていないが、そのうち会える?みたいに聞かれて会う日にちを決めたんだろう。すぐに来る週末の午前中に会う約束をして電話を切った。

その後、いろんな事が起こるんだけど、3年の月日が経って、私は彼と結婚をする。人と人の出会いって本当にすごいな、と思う。そもそも私が通った高校に行っていなければあの会社に入る事もなかった。会社の寮に入って知り合った友達とあの時Discoに行ってなければ彼と出会う事もなかった。私が電話番号を渡さなければ、彼が電話をくれなければ、電話を取った子が彼の日本語が理解できず電話をつないでくれなかったら、もっと言ったら、おばあちゃんがおじいちゃんが両親がどこかで一つ違う選択をしただけで、今の自分も子供たちも孫もいなかったのだ。すごすぎる!!!